空気の研究

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
「あの空気じゃあ言えんでしょ…」
そういうセリフを聞いたことも言ったこともあるだろう。この本はその「空気」「雰囲気」といったものに焦点を当て、鋭く考察している。
筆者によると、この「空気」が作られる過程は、ある対象をなんとなく知り、そのイメージだけがどんどん膨らんでいき、絶対化されるところから始まる。例えば農薬の場合、「農薬は人間に害がある」という話が誰かの耳に入ったとする。それが人づてに広がっていき、皆の知るところになると、「人間の食べるものに、何でそんな有害なものをかけているんだ」という話になり、そして農薬=悪という主張が成され、そういう空気ができあがる。ここでは農薬のマイナス面のみが取り上げられ、「害虫を駆除し、病気を減らし、作物の生産高を上げる」という重要なプラス面は敢えて無視され、たとえそれを述べたとしても「農薬を肯定するのか!」とヒステリックになじられて村八分に遭うだけだ。ある意味宗教的ですらある。
しかし、時が過ぎればその主張をする人間も少なくなっていき、やがて空気はなくなる。
もちろん、空気の醸成にはマイナスの場合だけでなくプラスの場合だってある(「○○は素晴らしい!!」というような)。ここで著者が問題にしているのは、どれが悪でどれが善か、というような問題ではなく、何故そのような「空気」ができあがり、何故自分達はそれに囚われるのか?という点である。さきほどの農薬の例についても「農薬に対する知識が足りない」と言ってかたづける方もいるだろう。ところが、その見方に対して著者は、「科学的啓蒙が足りないと言うのは論外」と述べて切り捨てている。科学至上主義の現代においてここまで言い切れる人はなかなかいない。
また、「空気」はたくさんの人間がいるからできる…とは限らない。「物」に対するある種の思い込み(臨在感的把握)があれば空気はできる。以下原文引用。

イスラエルで、ある遺跡を発掘していたとき、古代の墓地が出てきた。人骨・しゃれこうべがざらざらと出てくる。こういう場合、必要なサンプル以外の人骨は、一応少し離れた場所に投棄して墓の形態その他を調べるわけだが、その投棄が相当の作業量となり、日本人とユダヤ人が共同で、毎日のように人骨を運ぶことになった。それが約一週間ほどつづくと、ユダヤ人の方はなんでもないが、従事していた日本人二名の方は少しおかしくなり、本当に病人同様の状態になってしまった。ところが、この人骨投棄が終ると二人ともケロリとなおってしまった。この二人に必要だったことは、どうやら「おはらい」だったらしい。
(中略)
…人骨・しゃれこうべという物質が日本人には何らかの心理的影響を与え、その影響は身体的に病状として表れるほど強かったが、一方ユダヤ人には、何らの心理的影響も与えなかった、と見るべきである。おそらくこれが「空気の基本型」である。
(中略)
…この状態をごく普通の形で記すと、「二人は墓地発掘の現場の空気に耐えられず、ついに半病人となって休まざるを得なくなった」という形になっても不思議ではない。

この例を見て「違うんじゃないの?これ…。文化の違いでしょ」と思われるかもしれない。この場合での文化とは、「お盆には死者の霊が帰ってくる」など、ある種の思い込みとも言える側面を持つ。ある種の思い込み(臨在感的把握)があることで空気は生まれる。つまり、非常に大雑把に言えば、文化自体が思い込みと考えてくれていい。人骨という「物」に対して、「死体は粗末に扱ってはならない、祟りがあるかもしれない」という文化(思い込み)が絶対化されているから「空気」ができる。基本の構造は変わらないのだ。
あと、この例を見て、何でユダヤ人が寝込まないのか不思議に思ったのだが、どうも外国では死体を完全な「物質」と考えているらしく、魂というか「人間としての本体」は死んだときに天に行ってしまうと考えているようだ。ああ、だから向こうはもともと火葬な訳か。そんなもんが転がっててもめんどいから処分するんだよな。日本は死体に対しても愛着があるから土葬っていう未練がましい方法を取ってきたわけか。
…ところでこの本。二十年以上前に書かれた割りには内容は新しい。が、その分具体例がえらく古い。公害問題はともかく、共産党のリンチ事件とか言われてもわからん。当時はタイムリーな話題だったから解り易かったのだろうけど。しかもそのような具体例が頻繁に出てくるため、読み終えるにはある程度の根気が必要。その部分は減点ですな。
今回はネガティブな例を挙げたけれども、集団がまとまって何かを成し遂げたり、既成のものを崩して行く上において空気はとても重要。この著者もそれは認めているし、それを如何にコントロールしていくか、ということを説いている。普段意識しない、「空気」というものの重要性を考える上にとって有益な本でした。評論を読むのに抵抗が無い人は、一度手にとって見ることをお奨めしたい。