「学力低下」のうさんくささ

注:7/2エントリの日本の学習環境格差は埋められないのかの続き。


朝起きようとしたらひどい頭痛と吐き気で結局昼まで寝てた_l ̄l○
それはともかく、今度は「学力低下」について話してみたい。

本当に学力は低下してるのか

学力低下学力低下って騒がれてるものの、これがまたうさんくさい。実は1989年以前での学力調査はほとんど行われておらず、決定的な資料が存在していないというのが現実だったりする。しかも、ゆとり教育路線に入ったのは実は1976年からで、「ゆとり教育学力低下を引き起こした」と言っても「ゆとり教育」どうしの比較になるので決定的と言えない。
具体的に学力が低下したと言えるような資料は、1981年から1994年までに東大工学部の2年次の秋に行われた学力テスト。

年度 1981年 1983年 1990年 1994年
度数 54.0 52.8 43.9 42.3

こういう風に年々下がっていってるんだけど、いくつか突っ込みどころが。
まず、『2年次の秋』に行われたわけだから最高の教育機関である東大の教育を一年半受けているわけで、東大側に責任が無かったのかと言われると否定はできない。次に、『東大工学部』に限定されてる資料だから他の学部はどうなのか、他の旧帝国大学、上位私立大学はどうなのかって話になると、あまりにも局地的すぎるってのもある。また、この資料が学力低下関連で最も古い資料なのだけど、これも『ゆとり教育実施後』の調査なわけで、比較対照にするのは難しい。*1
他に有名なのは1995年と1999年に河合塾の浪人生に行われたテストがあるのだけど、いかんせん比較年度が二つしかないし、しかも母集団が『河合塾の浪人生』と限定されてるし、言っては悪いのだけど予備校ってことでバイアスがかかってる可能性もあるわけです。(学力低下を訴えれば煽られた親が塾・予備校に行かせる、という意味で)
刈谷剛彦氏らが1989年と2001年に行った調査もあるんですが、母集団は問題ないものの、やはり二回しか行っていないというのが……、という印象でしょうか。
学力低下とは言い切れない状況なのに、マスコミが大袈裟に宣伝してるような状況というか。

少子化の影響は

安易なゆとり教育否定側に見られるのが『少子化』の問題が見落としているケースが多い、ということ。
こちらの図を見ていただきたい。(少子化情報ホームページより。)

(もし字が小さくて見えないのであれば、一回保存してから見ることをおすすめします)
これを見れば確実に子供の数というのは減っているわけで、学校数は変わっていないから、それに伴って高校や大学が入りやすくなっている。つまり、その分だけ学力も必要なくなっているということに。
驚くべきことに、来年から大学全入時代に入るとか。

1990年代以降、大学の新設や学部の新設、また少子化などの影響もあって、2007年には入学希望者数が入学定員を下回る「大学全入時代」を迎えると言われているが、既に2000年頃から入る大学を選ばなければ誰でも入学できる状況になっている。その中で大学自体が市場原理によって淘汰される時代に入った。大学崩壊や大学のレジャーランド化が叫ばれて久しい中、最高学府としての品格堅持と人材育成をいかに各大学が講じていくかが問われている。

もう来年から大学全入時代というか、『すでに2000年から誰でも大学に入れる状況になっている』というのは初耳でした。
個人的には「ゆとり教育」そのものより、「少子化」の方が学力低下に深刻な影響を与えていると思うんですがどうでしょう?

「学力」ってそこまで重要なのか

花見川自身としては「学力低下は起こっていない」とかが言いたいんじゃなくて、むしろ「『学力』というものをどう捉えるべきか」ってのが言いたい。
ふた昔ほど前なら学力が価値観の中でも最上位を占めてて、「良い大学さえ入れば良い就職ができ、終身雇用制度で老後も安泰」っていうでっかいレールが敷かれてたわけだ。今では『学力』ってものはステータスの一つであって、「あったらあったで有利」な状態なわけで、「学力さえ取れればいい」っていう考えは幻想なわけでしょう。
少し前に話題になったエントリがそれを如実に現していると思う。

資格のある医療系はともかく、文系の学生の苦闘ぶりを見ていると、彼らの4年間に意味があったのか?と考えたくなることもしばしばです。もっと言ってしまえば、大学で時間を無駄にしただろう、と言いたくなるわけです。そんなとこに就職するなら、高校でて、すぐ就職して、手に職つけた方が賢くなかったか?とか思ったりします。

が、世の中には、二流、三流大学をありがたがる企業がまだ多く、ダメ人間の受け皿として機能しています。二流大学の経営サイドとすれば、就職率を確保してくれて非常にありがたい話ですが、まあ、正味な話、バカじゃねーの、と。
うちの訓練されてない学生をとるぐらいなら、高卒を3年契約で安く雇って働きながら勉強させて、4年目に大卒より高い給料で雇用する、ってことにした方がよっぽどいい人材とれますよ。または、しばらく経験させた上で、大学に4年間いかせるという契約にしてもいいんじゃないですかね?ああ、妄想なんで、穴だらけの意見かもしれませんが、現状の大学の歪みは、大学だけでは直せないって話です。

こういう話とか、他には大学全入時代だから大学だけでは足りないということで、結局大学院まで行っても、

職がない。大学院で博士号を取ったなら、研究職を目指せばよいのだが、それもうまくいかない。いつポストの空きができるのか分からないし、たとえ募集があったとしても、少ないポストに多数の応募者がいるわけだから、簡単にポストが得られるわけではない。その間、どうしたらよいのか。また、このような不安定な生活に耐えられず、路線を変更して一般の職を目指そうとしても、高年齢で職歴が無いために難しい。結局、このまま将来が見えぬまま、フリーターとかニートになるしかないのだろうか。

結局歳を取りすぎていて採用されづらい、ということにもなりかねない。*2
自分の偏見なのかもしれんけど、「ゆとり教育否定」の裏側に過去の『学歴社会の亡霊』みたいなものが憑依している気がして仕方がない。ゆとり教育を語る際に、「学力」≒「学歴」だけでなく、「資格」とか「就業経験」、「専門技術」、「集団生活能力」とかにも目を向けた議論になれば、もう少し有益になるんじゃなかろうか。
(まだ続くかも)

■参考
・前々回エントリ:花見川の日記 - 「『ゆとり教育』=『知的亡国政策』」っていう考えはそろそろ止めにしないか
・前回エントリ:花見川の日記 - 日本の学習環境格差は埋められないのか

追記

おとなり日記ですごく良いこと言ってる方がいたのでリンク。(id:Yusui:20060702)
「東大生の20%が就職決まってない」というニュースがあったとは……。

*1:もし、1976年以降の教科削減が学力低下につながったと主張されるのであれば、具体的な年度を挙げていただきたい。

*2:最近のフリーターの増加も今話してることと関係している気が……。