アニメ版 涼宮ハルヒの憂鬱

いやー、おもしろかった。
東京だと月曜放送なんで、まだ最終回放送されてないんですがフライングして見ちゃいました。
少し感想でも書きます。

『アンチ・セカイ系』としての涼宮ハルヒ

セカイ系*1として語られることが多い「涼宮ハルヒの憂鬱」だが、一般的なセカイ系、例えば「エヴァ」の場合だと序盤ではストーリー構成がしっかりしているものの、物語が進むにつれてどんどん抽象化の方向へ向かい、最終的にはストーリーが発散してしまう。そのため、視聴者側が『関連付け』などを行い、物語を拾い集める必要がある。(収束⇒発散)


一方でハルヒは第一話から原作を見ていない人間にとっては全く意味がわからず、最初から意味を拾い集めるハメになる(≒発散)。
ただし、物語が進むにつれて「アトランダムな話の配置」というシステムが効いてくる。第五話あたりでいきなり1年後に話が飛んだり、第一話ですら半年後の文化祭の時期という設定だ。(実質上の『第一話』は第二話。)そして最終話は春〜夏のあたりである。
最終話に至ったとしても「その後」はすでに視聴者が観た後であり、いくらでもその後の学園生活が連想可能なのだ。むしろ最終回によってパズルのピースを嵌めたように物語が強固になる、と言っても過言ではない。これは一般的なセカイ系の「世界の破滅等」の物語の発散の方向とは対極だ。(≒収束)
一般的セカイ系と「涼宮ハルヒの憂鬱」の物語の収束具合を図にすると、以下のようになるだろう。

一般的セカイ系 涼宮ハルヒの憂鬱
ストーリー前半 収束 発散
   ↓ 
ストーリー後半 発散 収束

これにより「涼宮ハルヒの憂鬱」は物語を拾い集める必要がなくなり、多くの視聴者にとって納得のいくものになるセカイ系には属するものの、ストーリーの構造としては全く逆とも言うべき仕組み。(=アンチ・セカイ系) これがこの物語の非常に優れた点なのだ。


動き、歌、HPとの連動など、ここまで総合的に楽しめる作品も珍しい。
普段アニメを全く見ない花見川ですら、ここまで楽しませていただいた。製作陣に一言「ありがとう」と言いたい。

*1:エヴァ」や「最終兵器彼女」のような物語のジャンルのこと。