CRPGプレイヤーにも「プレイヤースキル」の概念を

普通のゲーム機でやるRPGを「CRPG」と呼び、ラグナロクオンラインFF11などのネットゲームと呼ばれるタイプRPGを「MMORPG」と呼ぶ。前に一度書いた「制限型ゲームと非制限型ゲームを数直線で考える」にて紹介した数直線でCRPGを考えると制限型の傾向にあり、MMORPG非制限型の傾向にある。


CRPG(制限型ゲーム)を楽しむことの基本は、そのゲームのルールに忠実に従い、どこまでのことができるようになるか、つまりいかに自由になるかということである。一方でMMORPG(非制限型ゲーム)を楽しむことの基本は、ルールが無い以上、自分でルールを探したり作ったりすることで、何をやるかを見つける、つまりいかに自分を縛れるかがキーポイントとなる。
……といったような点をプレイヤー側は果たして意識しているんだろうか?と思い始めた。




評論、小説の世界では「速読」「精読」「ななめ読み」など、読み手側に対するスキルみたいなものがある程度意識されていて、それらを習得することでより読書が楽しめたり、異なった視点でモノが見れるようなことを期待している節がある。そういう意識はゲームの世界にもあっていいんじゃないだろうか?と、思うわけです。作法とでも言うのだろうか。


MMORPGではパーティを組むときのリーダーシップ能力、立ち回りのうまさ、対人能力、どれだけゲームそのものを楽しめるか、といった能力をまとめて「プレイヤースキル」と呼んでいたりする。このプレイヤースキルを身に付けることで、ゲームをより楽しめるものにし、ゲームを自分の支配下に置くわけである。そしてそれはプレイヤー本人の評価にもつながる。
しかし、CRPGが語られる際に「プレイヤースキル」に相当するものが語られることは、あまり無い。そういうことを語ること自体が野暮ったいような風潮さえあり、ほとんど製作側の責任になってしまっている。もちろんMMORPG自体も製作側、管理側の甘さが指摘されることがよくあるが、それは対となる「プレイヤースキル」に関しても平行して語られるためバランスが取れているのだ。CRPG側は「プレイヤースキル」がほとんど語られないため、バランスが取れていないように見える。


具体的な例を挙げると、初代PSのサガフロンティア2。このゲームは発売当初「グラフィックと音楽と戦闘システムは良いが、シナリオがぶつ切れでキャラを育てることが難しいからクソ」という評価でクソゲー扱いをされていたゲームなのだが、ここ最近では「300ページくらいある攻略本と合わせてプレイすると非常におもしろい」という評価を得ており、攻略本によりシナリオが補完され、攻略本の緻密な戦闘データによりプレイヤー側を「育てる」ことで戦闘を切り抜け、それぞれの短所を封じ込める性質を持っている。そういう意味では興味深いゲームなのだ。
また、もうひとつの例を挙げるとFF8。このゲームは「ムービーだけがすごいクソゲー」という評価を下されていたのだが、実は「レベルをいかに上げずにクリアするか」という縛りを置くことで、なかなか楽しめるゲームになるという報告がある。




このように「どうやれば楽しめるか」といった点を発見するのも、一つの能力であり、「自分が楽しめなかったゲームを楽しんでいる人はどうやってプレイしているんだろう?」と、ある意味学んでみるのもおもしろいんじゃないでしょうか。ただ与えられたものを漫然とこなすだけの受動的なプレイではなく、「どうやったらおもしろくできるか」といった目的を持った能動的なプレイ意識をプレイヤー側が持つことで本人の楽しみ方も変わってくるし、ゲーマーへの見方も少しは変わってくるんじゃないか、と思うわけです。