人が言うことの、ごくごく当たり前のこと

バイトやっててすごく当たり前のことに気が付いた。
「今更気付いたのかよ!」と言われかねないのだけど、


人は好き勝手なことしか言わない


ということだ。




気付いたきっかけは、まだ慣れていないバイト先で先輩スタッフが仕事を色々と教えてくれているとき。
先輩スタッフは基本的に気の良い人たちが多く、熱心に教えてくれる。その分こっちもそれに答えなきゃいけないような感覚になるんだけども、もちろん1人じゃないわけで、その日ごとに別々の人が担当してくれることになる。
で、「どこにどういう道具があるか」のような基本中の基本をマスターした段階になってくると、各先輩スタッフの意見が共通しなくなってくる
例えば、「会席料理の皿を下げるタイミング」にしても、ある人は「あまりにも早く下げてしまうと『早く帰れ』と感じてしまうから、早過ぎないように気をつけるべきだ」という人もいれば、「この店は人の入りが激しいから、なるべく早めに下げて作業効率を高めておかないと、ホールの循環がうまくいかなくなり、料理の出も悪くなる。そうすれば、他のお客さんを待たせてしまうことになるから早めに下げるべき。」という人もいる。新人はどっちにしろ半人前扱いだから、早く下げると「遅く出す派のスタッフ」に注意されるし、遅く下げようとすると「早く出す派のスタッフ」に注意されるわけだ。*1いくら熱心に指導してくれる、といってもそこいらの細かい方針を話し合うなんてことはやってられないだろうし、そんなヒマも無いだろう。言うなれば、それぞれの先輩スタッフが「これは正しい。こいつのためにはなるだろう。」と思っていることを「好き勝手に」*2新人へ述べているのだ。(言い方は悪いが)




さっきも言ったように、先輩スタッフは”熱心”に指導してくれるので、双方からの注意も必然的に”熱心”なカタチになり、板ばさみになることも多く、「自分ができていないのか」と凹む日が結構あった。でも、必要なのは凹むことではなくて、真正面から受け止めないことだと気付いたんですね。相手が言ってることを全部聞くんじゃなくて、「自分が正しい」と思ったことを聞く。
注意されたときは流すように聞いておいて、後から言われたことの整合性を取り、「これは良くないな」と思ったことはバッサリ捨てていく。じゃないと自分が持たないな、と気付いた。
そもそも人というのは身長・体重・性格・思考能力みんな違うんだから、意見だって違ってくるのは当たり前なんですよね。その色々いる中にはすごい人もいて、そのすごい人の中から「この人の考え方には賛同できるな、共感できるな。」って人の意見を特に重視していけば良い。「『学ぶ』ということは人に付くことだ」と言われる由縁はそういう所にあるんじゃなかろうか。






蛇足だけども、この「人は好き勝手なことしか言わない」っていう理論はブログにおいてもそうだし、自分自身にも当てはまるんだけども、ここで話すとまた長くなるからまた今度or自分で考えて。

*1:それ以上に実際に俺が仕事できてない部分はあるが

*2:「自分勝手に」では無いところがポイント。こっちのことを考えてくれてるのだもの。