ここの所、「メタ」「ベタ」「ネタ」を一気に包括してしまえるような理論は無いものかと模索してた。
で、ちょうどこの間思いついたのだけどまだ不完全なまま。ただ、ここで発表することでツッコミもらうだろうから反応を見る意味でエントリを書いてみたい。*1
対立する概念としてのメタとベタ
メタには二つの意味がある。「抽象化」と「上位層」だ。
例えば「しなもん」。
こいつは「コーギー犬」なわけだが、まさにその「しなもん」という具体的な名前から「コーギー犬」というより広い定義に当てはめることをメタ化(抽象化)と言う。逆に「コーギー犬」から具体的な「しなもん」というより狭い認識に当てはめることをベタ化(具体化)と言う。
次に、「上位層」の概念だがこれがちょっと難しい。わかりやすい例で言えば「メタブックマーク」の「メタ」を考えてもらえると理解が早い。
他の例を上げると、「書評」なんかは「メタ」である。具体的な評論・小説などに対して書かれた分析のことである。イメージとしては特定のモノの上に立っているイメージだが、その”特定のモノ”に依存しているため、それが無ければ倒れてしまうという危うさはある。
で、その”特定のモノ”は相対的に”ベタなモノ”となる。
「ネタ」概念の導入
メタベタとよく語られるのが「ネタ」だが、その三つを包括した概念をちょっと考えてみる。それにはまず”自分の位置(基準点)”と”向かう方向”を決める必要がある。早い話、自分のベクトルが決まっておく必要がある。
実は自分の少し前がメタであり、自分の少し後がベタ、遠くにあるものは前後に関わらずネタなのだ
図で表すとこんな感じ。矢印は自分の位置。
自分が目指す方法より少し先にあるものはメタに見えて、自分が進んできた方向にあるものはベタに見えて、あまりにも遠いところにあるものはネタにしか見えないのだ。-----<ネタ>---------------<ベタ>---<⇒>---<メタ>---------------<ネタ>-----
(本当はもう少し複雑な構造をしているが、理解の進度を上げるため略。)
だから、あまりにもメタに走っているいる人はネタにしか見えないし、あまりにもベタな行動をしている人はネタにしか見えないのである。
成長の奇跡はらせん状
で、「進んだ先には何があるのよ?」と思う人も多いだろうが、大きな円環状になっていたりする。
だからメタにメタに進んでいったら、最終的にはベタに戻ったりするんですよね。ここがすごく重要だったりする。
「じゃあ同じとこぐるぐる回ってるだけじゃない?」と思うかもしれないが、違う。メタな方向に進むとき、必ず上向きの傾斜になっていて、全体的な動きを俯瞰して見ると、上向きのらせん状になる。で、その自分の位置から真上とか真下を見ると「昔のメタ」とか「未来のベタ」とかが見えるわけ。
……と、まあこれが自分の今考えてる「らせん型成長モデル」ですね。
かなり穴も多いのだけど、人の目に触れる所に置いておいた方がいいと思うのでここにメモしておく。
*1:おそらくメタベタの定義も曖昧だからツッコミをもらうだろう