瀬戸風味さんへの返答 その3

ちょっとばかり気になる点と、こっちがどの辺まで理解してるかを報告しておこうと思います。
瀬戸風味@はてな - 花見川さんへお返事その2

「揉め事」の部分

「やり取りが発生しない」という部分が”めんどう”と呼んでいたわけですね。了解しました。


事例として挙げられている「根拠の薄い罵倒*1」がbコメントでなされ、それに大量の星が付いて「そういうことになる」のと、コメント欄で「根拠の薄い罵倒を巻き散らかす醜態を晒してもらう」こととどっちが「めんどう」と感じるか、ということだと思います。後者の「めんどうさ」を否定するわけではありませんが、自分は後者の方が望ましいと考えています。もっというと、前者は回りまわって、さらにタチの悪い後者に化けるのでは、といったところですね。

 *1:その事例そのものの判断は横において、「根拠の薄い罵倒」であるという前提で話として書きますが

の部分なんですが、ブクマコメでも自分もブクマ使って反論して☆付けてもらったり、ブクマコメに対してエントリを上げたり、といった対処法があるので早いうちに芽を摘んでしまえば問題ないかな、と俺は考えてます。(状況にもよるので単純に語るのもアレですが)

「不愉快」の部分

了解しました。

「『俺はお前らとは違う』」の部分


また、「けまらしい」と言うことが花見川さんがいうようなことを生むのは理解しています。ですが、それでも具体的にどんどん「俺とお前らは違う」「けまらしい」と言うべきだと思うし*2、そしてさらに言われた側が「そっすか」と流すべき*3だとも思います。ここは説明が難しいのですが、自分は現在の自分を(setofuumiは現在のsetofuumiを)「言われる側」に位置づけている、ということです。そしてその時、「言う側」に位置づけられているのは(個人的な事情で大変申し訳ないのですが)「過去の自分」です。

 *2:そこで「言わない方がいい、言うな」とは考えたくない、ということです
 *3:そして、言われた側が「そっすか」で済ませたくない、と思うなら、そこで何か言葉を言った側に投げかけるべき、とも

何度か読み返して理解できましたが、
「過去の自分にブログで言及させることで、現在の自分を修正する、あるいは変えていく」という使い方を実践している、ということですね。


俺も自分の成長のためにブログを利用したり、自分の信じているものがどこまで通用するか実験するためにブログを利用したりしているので、その辺りの目的意識は理解できます。なんというか、そういう意義のあるブログの使い方をしている人は非常に少ないので「感心した」というのもアレな言い方ですが、瀬戸風味さんはひとつひとつ意味があることを書いているのだな、と理解しました。*1


他人と自分を天秤にかければ自分が優先されるのは当たり前なので、ある程度は仕方が無いとは思います。
ただ、こちら側に何らかの影響がありそうなら、また何か言及したり質問したりすれば良さげですね。
(瀬戸風味さんも何度もそう述べているし)




少々遅くなりましたが、以上が返答となります。
あと、


なんか「後で書く」「簡単に」といったわりに長々と書いてしまいましたが、ご理解いただければ幸い。
短文でも長文でも、今回のように「中身」さえあれば俺は大好物なので、むしろ礼を述べたいくらいです。
丁寧な返答、ありがとうございました。

*1:「ああ、ここにも有意義なブログの使い方をしている人がいたか。まだ世の中捨てたものじゃないな。」という安堵感というか。