いつでも心に「無人島のナイフ」を

無人島で生きていくための必須アイテムはナイフだとよく言われるのだけど、それを比喩にしてちょっと語ってみたい。(クソ長いので誰も読まんとは思うが)


よく「あいつキモい」とか「オタクは気持ち悪い」みたいな話があるんだけど、毎回思うのが『そう言ってる本人は自分自身について考えてはいるのだろうか?』という点。
確かに「自分も気持ち悪い部分はある。だが、それを踏まえた上でもあいつは生理的に我慢出来なくて口に出さざるを得ないのだ。」と言えるならそれは立場の表明になるだけだから、それはそれでかまわないのだが、6割ぐらいの人は「あいつキモい」という一方通行的な意識で終わってしまっていてその先が無いように思えて個人的に残念だったりする。


誰もが誰かに”気持ち悪い”と思えてしまうような部分を持っているのは確かで、よく人から気持ち悪いと言われるようなことをよくやっている人というのは、よほど道徳的・倫理的に度が過ぎているようなことを除けば、それはそれで自分の暗部というか、いわゆる「普通の人」が心のゴミ捨て場に捨てたまま腐って放置されてるようなものを敢えて愛でているような、ある種の誠実さがある。わかりやすい例え、と言ってもあまり良くない例えだが、喜んで便所掃除をやっているような人というべきか。
確かに「風呂に入らない」とかは公衆道徳的に問題があるから却下するとして、その辺りの最低限のマナーを踏まえた上で好き勝手やるのは別に良い、と皆分かっているはず。だが、それがどこだか実行しにくい部分があるとすれば、『珍しいことをやっていれば偏見を持たれるんじゃないか』という自己内の空気読みスキルが働くからであり、何故空気を読もうとするか、ということまで考えていくと『独りになるのが怖い』というある種の弱さに還元される。
人間は独りでは生きてはいけないが、独りになるのを怖がっていても生きてはいけないわけで、まずはその「孤独への恐怖」を無くしていくことが自分を鍛えたり成長させたりすることではないか、と最近考え始めた。


孤独への恐怖を無くしていくことを考えると、「孤独になったときに生きていけない」という恐怖から孤独への恐怖が来ているので、いざ孤独になったときのための様々な角度からの対処法や準備を怠らないことが必要だと考える。言うなれば今の世の中を生き抜いていくために必要なサバイバル術であり、学歴や資格・職歴なんかもその一種である。ただ、それ自体はあくまで利用するためにあるのであって、自分の名誉のためにあるのでも、自分より上のモノを持っている人を見て落ち込むためにある訳でも無い。ただそれらは無人島に落っこちているナイフみたいなもので、枝を切ったり、魚を捌いたりするためにあるような、いわば”道具”なのであり、ナイフそのものに対して「俺は良いナイフを持っている」と自慢したり、「俺の持っているナイフはあまり良いナイフではない」と落ち込むようなことは些細な問題なのだ。いくらナイフが良くても悪くても、持っている人間がポンコツであれば使い物にならない。重要なのは如何にナイフをよく使えるか、だ。


その「無人島のナイフ」に相当するようなものは人それぞれ異なるので各個人が見つけなければならない。巷でよく言う「好きなものを見つけろ」とは無人島のナイフを見つけることである。
「石の上にも三年」という諺があるように、どんなくだらないことでも(ただ石の上に座っているようなことでも)三年間ほぼ毎日続けていれば必ず得るものがあるわけで、逆を言えば何も得るものが無かったとすればそれはいい加減にやっていたか、好きなことでは無かった、ということである。いや、十分満足行くまでというか、他の人間が呆れるぐらいまでのめり込まないと得るものは無いのかもしれない。そこまで自分に誠実になれるものこそが「好きなこと」であり、無人島のナイフに成り得ると思うのだ。


マンガだろうが、ゲームだろうが、ライトノベルだろうが、エロゲーだろうが、人が呆れるくらいまで没頭して馬鹿みたいにそれについて考えて、時にはそれがイヤになるくらいやり続けて自分がそれが好きかどうか疑問を持って考え込むくらいのめり込み、さらには他に同じくらい好きな人を見つけて思い切り話しあったりして、それらを何回も何回も繰り返して三年以上やり続けていけば、絶対に得るものがある。それほどストイックにやるのが嫌な人は気楽にやればいい。気楽にやったとしても、それが好きでずっと続けて三年以上経てば何か身に付いてるはずである。


そしてその身に付いたものが自分の孤独を助けてくれる。やっと「無人島のナイフ」が手に入るのである。
ただし、ここから先はナイフの使い方を覚えなければいけない。ナイフを研ぎ澄ませながらも、自分自身もナイフの使い方を覚えていくのだ。そうするから、ナイフすら全く持ってない状態に比べれば、少しは独りで生きていくことが出来る。




最初に話を戻すと、人に対して「気持ち悪い」と考慮なく言う人間は「無人島のナイフ」を持っていることは少ない。(さっき述べたような人間は別だが)
人に対して「気持ち悪い」と述べることの意義を考えれば、それはある種の人間を外すことで自分のコミュニティの結束を高めるっていうアレなのだろうと思うのだけど、そこでは良いとしてももし環境が変わって別の集団に移ったとすれば、全ての人間と仲良くなれる人間はいないのだから逆に疎外されることもあるだろう。その時その人はどうするのだろうか? その当時「気持ち悪い」と吐き捨てるのではなく、独りでいる人間に対して黙っておき、その人が何をやっているのか注目することがその時すべきことではなかったのだろうか?
人に暴言を吐くことは、自分自身に隙を作ることであり弱点を見せてしまうことである。それは誰もがやってしまうことであり、自分もやってしまうことであるから、戒めのためにこの文章を書いている。*1




無人島のためのナイフはいつでも持っておき、使えるようにしておきたい。自分が無人島に住まない、という保証は一切無いのだからね。

*1:ただ、中には隙を見せて相手を誘い込む人もいるが