「嫌儲」と「ゴネ屋に反感を抱く人」の明確な違い

ちょいと前の話題になるのだけど、ねたミシュランで扱われてたこの記事。
http://netamichelin.blog68.fc2.com/blog-entry-2044.html


この記事に対しての多くの意見が「これはひどい」「こいつはいっぺん死んだ方がいい」というものであったのだけど、その中で「これに反感抱くことって、嫌儲と変わらないんじゃないの?」という意見があった。

  • 2008年02月19日 asitaki asitaki ↓ひがむより自分も実行すればいいのに。そんなに他人が楽して儲けるのは嫌なの?
  • はてなブックマーク - ねたミシュラン

  • 2008年02月19日 kobe_kobe kobe_kobe これは絶対的に許されないけどアフィリブログは許しちゃうはてな住人の皆さん。/確かに嫌な奴だけど、「人道的に」とか「道徳」とかそういう理由付けは好かんなぁ。私憤を義憤・公憤にすりかえちゃダメだと思うな…

  • 2008年02月19日 namnchichi namnchichi 何に対して「ひどい」か・どの部分がどうひどいのか
  • http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://netamichelin.blog68.fc2.com/blog-entry-2044.html

    「嫌儲」騒動のときのニュー速となんら変わらない件について
    などなど。
    で、いろいろと思ったことが。



    結論から先に述べると、「(嫌儲)⇔(反・嫌儲)」と「(ゴネ屋に反感を抱く人)⇔(ゴネ屋)」ってのは途中までは確かに構造が同じなんだけど、決定的に異なるのが「反・嫌儲」は特定の文化圏・コミュニティに限定されることに対し、「ゴネ屋」は特定の文化圏・コミュニティなど関係無くその行為が行われる、という点。

    「内在するルール」の破壊と保護

    世の中には”暗黙のルール””明文化されてないルール”がよくあったりするのだけど、”倫理感”辺りも含めてそれらを『内在するルール』と呼ぶことにする。
    そして、「嫌儲」と「ゴネ屋に反感を抱く人」はその”『内在するルール(倫理)』を守る立場”であり、「反・嫌儲」と「ゴネ屋」は”『内在するルール』を破壊する立場”として共通している。


    前の2chまとめブログ騒動の時などはWEB性善説に基づいた「2chのもので金儲けをしてはいけない」という内在するルールを守る立場(嫌儲)と破壊する立場(反・嫌儲)で陣営が分かれていたのだけど、反・嫌儲側から「ブログ側が広告収入を得るだけなら、2ch側にデメリットが無いから良いのではないか?」「2chそのものが人の書き込みを使って広告収入(ime.nu)で儲けていることはどうなのか?」といった観点からの嫌儲側の矛盾点を指摘したり、その内在するルールが破壊された後のことも見据えた”創造的破壊”であるケースが多かった。それも2ch(主にν速やVIP)と2chまとめブログというごく限定されたコミュニティであるからこそ、その”創造的破壊”が成り立つと言える。


    しかし、ゴネ屋は「自分が金を儲ける」という軸で一貫しているため、コミュニティや集団関係無く『内在するルール(倫理)』を破壊していく。これは”創造的破壊”ではなくただの破壊であり、嫌儲問題と決定的に異なるのがこの点である。
    したがって、『内在するルール』を守るために反感を抱く人間が出てくるのは当然のことであり、秩序を保つためにはこのようなゴネ屋は徹底的に糾弾されるべきであると考える。嫌儲問題のような”限定された”コミュニティの中であれば内在されたルールとは別の新しいルールを制定して、それを機能させたりまたは自然に変質させて新しい『内在するルール』にさせるようなことも可能だが、ゴネ屋のようなケースでは破壊範囲が広すぎるため、新しいルールを制定する前に次々と破壊されていってしまうし、そもそもメリットを得る人間が少ない割に被害の範囲が大きいという、野放しにしておいてもあまり得が無さそうな状況と言ったところだろうか。


    そういう見方からすれば、こういう輩はいっぺん痛い目に会った方が秩序を守るためにはいいんだろうな、と思ったり思わなかったり。