Web媒体に対するモチベーション

あまりにも「そう!それなんだよ!!」とか共感しまくったので、もう1エントリ。

満たされることで無くなるもの - 敷居の先住民


今はもう、そのへんに関してはTwitterやオフ会等でほぼ満たされています。いくらでも話せるし、僕が話すよりも話を聞いているほうが面白い人も近くにたくさんいる。もちろんブログに何かを書く理由ってのはそれだけじゃないけれど、大きなモチベーションのひとつがほぼ消えたのは事実なわけで、実際その影響はけっこう露骨に出ています。
いやもう、ニコ部の日記とか復活してから三ヶ月近く書いてないんですが、その随分前から「ニコ部書き始めた当初は全然アイマス動画紹介サイトって無かったから書き始めたんだけど、今やもう敷居さん然り、カズマさん然り、おっホイさん然り、サクラバさん然りと紹介系サイトも数多くあるから、もう俺別に頑張らなくて良くね?」とか思ってて、4月の引っ越しを機にネットが繋がらなくなる状況に突入してからもうぷっつりと糸が切れちゃったんですね。で、最近になってようやく「ああ、別に俺のサイトだし好きなことを好きに、自由に書いていけばいいんだよな。そんな何か他人のためにやらなくてもいいんだよな。」って思えるようになってきた。


で、ニコ部だけでなく本家の日記の方もあんま書いてなかったのは、一応仕事が理由にはなってたものの正直なところ自分の周りに、ここのブログの理解者というか深い意味で本当に受け皿になってくれる人間が出てきたのが大きくて、やはりそれだけ深く理解してもらえるのは嬉しいし、幸せなことではあるのだけど、唯一不幸(という言い方もどうかと思うけど)なのが今まで受け皿になってたブログそのものなんですよ。やはりそういう状況になるとブログというのは書けなくなるし、今まで書いていたものが書けないということは苦しみにもなるし、今まである種の苦しみでブログを書いててその苦しみが無くなったことが苦しみになる、という複雑さ。しょうがないから俺としてはその「苦しみが無くなったことに対する苦しみ」を使って文章書こうとしたのだけど、やはり燃料としてはあまり優秀ではないし、しかも量も少ないし分野も限定されるという状況だったので書きようがなかったんだよなあ……。
一時期は「俺はもうtwitterしか書けないのか!!」と悩んだことすらあった。(バカみたいだが、というかバカだが)


そうこうする内に本家の方も新しい書き方の光明がちょっとずつ見えてきて、やっともう一度ブログというものが楽しめそうになってきたところで、敷居さんがマジ悩んでて、すごい勢いで共感して気付いたら上のような長文書いてたという。なんじゃこら。


「記録を残すこと」に意味はあると思うし「知らない人が今起こっていることを知るきっかけになる」ことにも大いに意味はある。「誰か」じゃない不特定多数に向けて何かを書くって行為は、派生すると色々と面白いことが起こったりもするし。ブログ書く意欲が丸ごと消えてなくなったというわけじゃあない。
ただ、だいぶ「熱」とか「勢い」が減じてるなあ、というのは最近とみに感じます。これは良いことなのか悪いことなのか、いや、これを悪いことと言ってしまうと色々と本末転倒な気がするので悪いことではないはずなのだけど……モチベーション取り戻すために引きこもるとかわけわかんないもんね。不健全すぎる。
こう言うとアレなのかもしれないんですが、やっぱブログは恋人とか結婚相手の感覚に近いもんではないのかな、と思ったり。
付き合ってて山あり谷ありで、谷のときに本当に悩んだりするのだけどやっと山が来たときに、悩んだこともひっくるめて好きでいて本当に良かったなと思えるようになる感覚と言いますか。って偉そうだな、俺。



とりあえず思い出したのがこれ。


人間関係ってさ、どんなに合う人だと思っても、あるときほんとに狂いそうなくらい嫌になる時があるんだよね。しかも理由は毎回違うの。そしてその理由は絶対に解決不能なものに思えたりする。でもそれでも一緒にいなくちゃならない状況でずーっと居続けると、ある日ふっと、あれ?なんかあの嫌さがなくなってる、って感じる日がある。かと思うとまた嫌になっちゃったりして、だけどまた大丈夫になって、もう嫌にならなくなったり。 多分それが人間関係の真実。だと俺個人としては思ってる。他人ていうのは本当に合わなくて、食い違って、話が通じなくて、謎で、イライラして、そういうもんなんだよ。


こういう状況にアドバイスっぽいエントリ書くのもアレなので、「共感したよ! ものごっつ共感したよ!!」という表明のみをば。