ブログと「書く」「話す」「デザインする」

http://webcolumn.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-5a65.html (via:まなめはうす)


メールやブログや掲示板でのコミュニケーションを、「書く」と見るか「話す」と見るか、これはかなり微妙な問題です。私は「書く」と見てしまいますが、それが正しいと言い切れるわけでもありません。実際は、「書く」でも「話す」でもない、別のことと見るのが正しいのかもしれません。

ブログと「書く」

自分の中では「書く」という感覚が最も大きくて、次に「デザインする」という感覚が来て、Twitterなどのミニブログにおいてのみ「話す」「独り言」の感覚が来る印象。
本家(花見川の日記)ではまず何を述べるかという「論」を軽く箇条書きにしてみて、そこから細部をブログの編集画面と相談しながら決めていく。その細部は敢えて感覚任せにしてあって、たとえ同じ事を書くとしてもその時の体調や気分で変わってくる所が本人としても楽しめる部分だったりしますね。
ただし、あまりに感覚任せにすると途中筆が走って暴走したり、何度も同じフレーズを使い続けたりするので、余計なものを取り除き何度も見直しして、誰もが読みやすい文章にすることが重要

ブログと「デザインする」

もう1つ「デザインする」という感覚があって、これはサブブログの花見川@ニコニコ部で使っている感覚。(⇒具体例:ニコマス、最高の9作 〜2009春〜 - 花見川@ニコニコ部 - ニコニコ部
本家だと自分の文章*1を読んでもらいたい訳ですが、ニコニコ部の方だと動画紹介を主に行っているため観賞して欲しいのは自分の文章よりもまず動画。と、なると「動画中心に見てはいるけど文章読むことは慣れてない人」などもブログに訪れることも想定できる訳だから、見やすい文章ではなく見やすいエントリ、つまり「絵(画像)」とか「小見出しの配置」、「動画の紹介方法(サムネイルなのか、ハイパーリンクなのか)」、「画像と文体*2の雰囲気は合っているか」などの文章だけ書く場合とはかなり異なった着眼点が出てきます。


「一読してわかる文章」ではなく、「一見してわかるエントリ」とでも言えば良いでしょうか。


この辺り非常にうまいのがid:kokoroshaさんとか、id:merecoさんだったり。あ、id:guri_2さんも先頭に絵を持ってきたりと、エントリのデザイン上手いですよね。*3
ちなみにニコニコ部でのエントリ構成をそっくりそのまま本家に活かしたエントリが食育の重要さがよくわかる「ジェイミーのスクールディナー」だったりする。まさか、そっくりそのまま活かせるとは思わなかったけども。

ブログと「話す」

「ブログで話す」というのは基本的にTwitterくらいでしかやらないのだけど、トラックバックの飛ばし合いみたいになれば「対話」や「議論」のようになることはある。(まあそれは「話す」感覚前提で表現するものとしては例外的であるし除外)
やはり文章で「話す」ということの最大のメリットっていうのは敷居が低いということでしょう。それだけ表現の発端となる頻度が高くて、その分楽しみやすい。だから、話すように書いてる人が多いというのは、最も敷居の低いやり方を選択した結果にすぎないんじゃないかな、と俺は思うわけです。(それだけ、というのもつまらないですが)

まとめ

「書く」よりも「デザインする」の方が他の人が見たときに理解しやすいんだけど、ずいぶん手間がかかる。一方で「書く」「デザインする」よりも「話す」感覚の方が表現する方の手間は少ないんだけど、その分理解するのが難しくなったり、内容が薄くなったりする。一長一短というとこでしょうか。


てか、久々に他人様から読んでもらうこと前提の文章書いたけど、楽しいですな、ブログは。もうちょっと書くようにしよう。

*1:正確には自分の論

*2:「文章」ではないのがポイント

*3:guri_2さんの場合文章もそういう構造してるけど