「わがままなブロガー」になること

うーん、なんか今までのスタイルで日記書くのがアホらしくなってきた。


理由の一つとしては、今までなるべく正確さよりも「わかりやすさ」を重視して皆に分かるように書いてきたのだが、なんつーかいくら分かりやすく書こうとも分かる奴は分かるし、分からん奴は分からん。分かった奴の中でも変な誤解をする人間もいるし、そういうエントリ書いた自分は労力の割りにあまり得るものが無かったりする。なんだかボランティアも飽きてきたのだ。


もう一つは、去年辺りから↓みたいなことをずっと考えていたためだったりする。(強調部分は花見川による)


確か、「ウエブ進化論」だったか、ブログの効用として(いやWEB2.0の効用だったかな?)として、WEB2.0は思考の高速道路を引くのだが、その先に大渋滞が待っている、と梅田氏は書かれていたのを思い出します。

なんで、私がこのような話を持ち出すのかというと、私はある著名な仏教学者と精神科医と面識がありますが、彼ら二人は一切ブログなどのネット上で発言などしません。一度なぜなのか尋ねたことがありますが、我々の意見など彼らにとっては初歩レベルに過ぎず全く参考にならない。というんですね

なるほど、渋滞を過ぎトップレベルに入った人はそうなのかと凡人の私は恥じ入った次第でした。
それと同時に実際にはかなりの分野において発信しているブロガーというのは実際にはその分野のトップレベルには到達していない人しか書いていないのではないか?と私は真剣に疑っているのですが。

投稿 F.Nakajima | 2006/12/29 22:00:08

自分は「リアルを充実させるためにネットを用いる」ということをモットーにしており、詳しいことは省くが、自分の目的のヒントを得るためにブログを書いている。
トップレベルは言いすぎだと思うので『ある段階』に言い換えるが、「特定の分野において、ある段階には到達していない人が書いている」ということは「ブログは、ある段階に到達するまでは有益」ということであり、逆を言えば「ある段階を越えている人にとってブログに触れるのは逆に有害になりうるんじゃないのか?」という問い*1が生じる。

「有害とは限らない」というツッコミが来そうだが、そこの理由はちゃんとあって「迷いを生む」ってのがある。
万人に共通した訓練課程を経てしまえば、あとは自分をどうするか?ってのが最も重要で、極端な話、他人のことはどーだっていい。んで、自分をどうするかいったん決めてしまえば、その道を信じて突き進むのみであり、他の人間の意見に耳を傾けている場合なんかではない。ここで耳を傾けてしまうと「迷い」が出てくるので、突き進むスピードとパワーが激減する。そうなっては元も子もないのだ。


ブログの話に戻すと、具体的にはトラックバックとコメントの対応が考えられる。

トラックバック先は反論が書かれてたらとりあえず参考にはする。こっちが反論するかどうかは相手のエントリの質と自分のヒマと相談。
コメント欄は基本的には対応するが、エントリに反発して書かれたような反論にはなるべく対応しない。もしくは最初から全く対応しないというのも有りか。


早い話、もうちょっと『わがままなブロガー』になった方が良いんじゃないか、という邪推。

*1:エンジニアとかプログラマーとかは除く