人を守るということ

埼玉県知事の上田さんの発言は不祥事ではない - 花見川の日記


に対して、id:hagakurekakugo氏から挑発的なコメントをいただいた。


上田知事の「自衛官は人殺しの練習」発言に対する、自衛官の妻の反発 - 解決不能


例によってマスコミ批判の大好きなリテラシーっ子
ブクマコメントはこうだ。

# 2007年04月07日 hagakurekakugo hagakurekakugo これはひどい, 上田清司, 自衛官 自衛官や警察から批判が来てる時点で不祥事だ。多分マスコミ批判をしたくてたまらない年頃なんだろう。
当ブログでは政治関連の話題を扱うのはごくまれであり、マスコミ批判は今回が初めてだと思うのだが、それが何故「マスコミ批判の大好きなリテラシーっ子」という結論に至るのかが理解に苦しむ。まあ、そんな挑発部分はどうでも良いとして、こちらもそれなりの考えを述べたエントリを曲解されているのも癪なので反論をしておく。




まず、「自衛官や警察から批判が来ている」というが、この批判した自衛隊員や警察官は上田知事が「武道をたしなんでいる人間(≒自衛隊員や警察官の立場と同じ)」だということを知らない可能性が高く、記事自体を吟味している可能性も低い。(”同じ立場の人間”だからこそ「激励」となるわけで、異なる立場であれば、「罵倒」になる。hagakurekakugo氏は後者の見方のみを行っている。)
”知らない可能性が高い”と言っても、人を守る立場の人間なのに、あの発言に頷けないのは多少危ないとも言えるわけだが、あの記事そのものを吟味した上で批判を行っている警察官・自衛隊員がいるとしたら、「人を守る」ということに対してよく考えたことが無い人間としか言いようが無く、自身の職業意識に対して反省すべきだろう。


人を守るということ

そもそも外からの暴力に対して、最も即効性があり、ややこしくも無いのは、こちらからも暴力をぶつけることである
ナイフで刺されそうになっている人間を守るには、棒かなんか持ってナイフ持っている人間を殴り飛ばすことであり、仲間を大量殺戮している団体から仲間を守るには、そいつらを殺してしまうのが最も速く、最も効率的である。そのような緊急事態では暴力以外の対処方法は無いと言っても過言ではない。


では、最悪の事態までを想定して訓練するとすれば、自衛隊員の訓練は必然的に「人殺しの練習」となる。
「相手を殺さない」とすれば、殺す場合よりもさらに難しいため「もっと高度な人殺しの練習」となる。




そこで、id:hagakurekakugo氏に聞きたいのだが、自衛隊員のやっていることが「人殺しの練習」で無ければ、一体何の練習なのか?
「国を守る」ことも突き詰めれば「人殺しの練習」であるし、「他国への牽制」としても「人を守る練習」=「人殺しの練習」はしておくはずである。
「人殺しの練習」という言葉は「人を守る側の人間」がやっていることをこれ以上無いくらい端的に表しているし、守る側の人間に対して戒めともなる言葉だ。


また、「自衛官の配偶者の声」とあるが、自衛官本人では無いので「人を守ること」に関して理解しているとは言えない。そもそも一般人だろ、と。




で、最後にもうひとつ聞いておきたいのだけど、id:hagakurekakugo氏は親や恋人など自分の愛する人と共にいるとき、逃れられない状況下で頭の狂った人間に刃物で襲われそうになったらどうするんでしょうか?
人殺しまがいのことをやって、愛する人と自分の身を守ったりしないんですかね。


俺は間違いなく、相手を殺す覚悟と、自分が殺される覚悟を決めます。そいつの目に手を入れるなり、金玉を潰すなり、どんだけ卑怯な手を使ってでも守るべき人を守りますよ。


人を守るってのはそういうことなんですよ。





それを再確認させるよう促した上田知事には賞賛を送りたいものです。