「わかっているもの」を親しむ心理

最近よく話す人がラノベ好きなんですよね。いや、ただラノベが好きなのは確かなんですが、元々色んな本読んでて文学作品や有名どころも一通り読んだ上でラノベ好き。今まで先人が積み上げて来た完成度の高いものを知っているのに、敢えてそれは横に置いておいてラノベ。最初ちょっと不思議に思った。


で、これは何かあるかもしれないと思って、自分にも似たような所がないか探してみたら、2chまとめブログを読む行為や、ニコニコ動画を見る行為がそれに類似してた。共通してるのは「内容のフレーム・構造を理解しつくしているのに、それを敢えて読んでいる」という点。ここに気付いたときにあることが思い浮かんだ。


それは「毎日食べているごはん」に似ているという点だ。




日本に来た外国人が「日本人は毎日白米を食べていて驚いた」という話があるが、それにちょっと似たところがある。栄養を摂取するというか、それをやらないとやっていけないような部分がある、という話になるんだろう。考えてみれば日々の雑談も「中身がある」というモノでもないし、むしろそれを毎日やること自体に意味があるケースが多い。毎日飯を食うのもそれに似た意味合いがある。




最近、自分は昔のRPGをよくやるのだけど、一度やったことのあるRPGを選んでよくやっている。というのも、何回もやることでそのゲーム内での立ち回りが上達したり、今まで見えていなかった部分が見えてくる。本の再読と同じで、内容が分かっていても、繰り返し反復することで見えてくるものがある。おそらく、構造としてはこれに近くて、反復練習というか内容をずらした反復練習といえる部分があるんだろう。




それを踏まえると、ほとんど同じ内容ばかり流している時代劇も、何だか意味があるように思えてくるから不思議である。
世の中というのはおもしろい。