中村橋さんとこのエントリ見ててふと思った。
ただ、どうなんだろう、末端の一ネットユーザーからすると、テキストサイトの管理人って、一種の「作者」だった気がするんだよね。実際はオフ会とかなんかでややこしい人間関係があったのかもしれないけど、俺、そういうのもともとあんまり見えないほうだし。そもそも「ホームページ」に「日記」が置いてあって、そこに「掲示板」があるわけでしょう。構造的に「作者」と「そのファン」っていう以外のかたちってできにくかったんじゃないかと思う。少なくとも、当時の俺からはそんなふうに見えてた。
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100514/1273800531
前にyosituneさんが「インターネットの舞台が個人ホームページからブログツールに移ったのがテキストサイトの悲劇」と言ってた気がするんだが、
個人ホームページってのはまさに「個人」「人そのもの」を軸に皆見に来ていたのに対し、
blogは「有用な情報」「記事」っていう連続性のないモノが軸なのだな、と。だから、ブログエントリの前後でものすごく矛盾したことを言ってても気が付かない事が多い構造になってる。(常連は別だけど)
ただ、すごく小さなコミュニティから成り立ってるSNSようなblogだとやはり「個人」が主体となっていて、mixiなどのSNSも「個人」が主体となってる。この辺り、mixiが知られるようになった頃にテキストサイト管理人がよく移住してそのまま戻ってこないケースが多かったのも納得がいく。
そんでTwitterも「個人」が主体なんだけど、画期的なのはその人数を大量に集めることで「有用な情報」化させて無理矢理取り出すことができるという点だよなと。Togetterなんか言うなれば自動人気記事作成装置だし。*1
さらに受信側だけでなく発信側としても、発言数落として長文化させることでblogと同じ使い方が出来る辺り、随分使い道が多様。
……と、書いてるうちにTwitter礼賛記事になってしまった。この辺で終わっておこう。
*1:まあ最近は私怨Postも多いけど