「けまらしい問題」についての構造分析とか

今頃気付いた。


に対して、


  • 2007年11月03日 setofuumi setofuumi 言ってる意味はよくわからんがとにかくすごい自信だ(のでFA内容が知りたい

  • というブクマコメントが付いていたので瀬戸風味さん(id:setofuumi)に返答したい。






    これは、twitter上ではてな村の昔話からfinalventさんがこう発言してたことに対する反応。
    http://twitter.com/finalvent/statuses/384614852


    http://twitter.com/finalvent/statuses/384625802



    ミクシキンモー化

    このfinalventさんのtwitt見ればだいたい分かると思うのだけど、mixi2chの一部、国際化していないネトゲ(ROやらリネージュやら。WoWは異なる。)辺りの界隈というのは”リア充パワーでミクシキンモー化”してることが大半で、そういうコミュニティでは「けまらしい」という言葉が出てこない。


    この辺りで「それはお前東京に住んでるからだろ。このオフ充め!」ってツッコミが来そうなのだけど、mixi2chネトゲ界隈だと地方に住んでたら住んでたで近い奴同士でオフ会やってることが多い。ネット上で自分が属してるコミュニティでオフが頻繁に行われるようになると、「じゃあ自分もオフやろう」とオフ会のために人を探す印象がある。んで、リアルの住所が近い人見つけてネット上のコミュニティに引き入れたり。


    ブログというかはてなだとこれが出来ない。


    そもそも文章なんて書きたい奴が書きたいことを書くわけで、誰が誰を気に入るかとかは千差万別。「何らかの理由で文章書きたい」という”言語による疎外”があるからこそ、必然的につながりが狭くなってしまう。
    現にこの「花見川の日記」もネトゲつながりの友人との交流のために設置してたのだけど、ネトゲ引退してはてな関連の考察書き始めてしまってからは、交流装置では無くなってしまった部分がある。考察なんて皆読めるわけではないし、読みたいとも思わない。その友人達を”疎外”してしまっているから、俺としては申し訳なく感じてる。




    それはまあいいとして、この辺りはテキストサイト界隈あたりでもあった話というか、あの界隈は最終的には都市圏にいた人達がみんなリア充化したり、mixi入りしたりで界隈自体は拡散してしまい、一部の人が戻ってきてブログで書いていたりしている印象。
    今では「ただ単にネットで交流したい」っていう人達はmixiやマス化した2chネトゲあたりを使うわけで、それ以外の人達が集まってきたのがブログというかはてなだろ、という一種のふるいにかけられた状態。だからはてな内でリア充うんぬんの話が出てくると、その場を守るために「けまらしい」発言発動みたいな構造。
    ここでいう”言語による疎外”は他人を疎外すると同時に、自分自身をも疎外している(ふるいにかけられた)わけで、そのふるいにかけられた上での言語による純粋かつ有益な交流が、都市圏のオフによるリア充パワーで全部ブッ壊れる可能性があり、それへの恐れが「けまらしい」という発言にこもってる。(少ないものがさらに少なくなるものへの恐れ)
    そういう構造分析の上で確信が持てたから「FA」といったところ。




    ここで話は変わるのだけど、個人的には「ネット充とリア充は両立する」と考えてるので、オフはいくらでもやればいいと考えている。
    その界隈が潰れようと、それはさらなる”ふるい”になるというか、個人がぶれないサイトだけが残るだろうと考えている部分もある。要はその人自身だ。
    ただし、自分はネットに育ててもらった部分もあるので、その意味での貢献はしていきたい。ネットに対する感謝はすごくある。




    オフ会があろうと何があろうと、ここで書き続けていきたい。



    追記

    返答が来たので追記。「疎外」の部分はちょっとパス。
    自分としては、「けまらしい」が公に問題になるかどうかが重要な点。
    けまらしい問題 - 瀬戸風味@はてな

    • けまらしい」はマイナーな造語なので、どこそこで「けまらしい」という言葉が見られないからその感情はない、というのは外国で「暑い」と日本語を喋る人がいないからそこの人は暑がらない、というようなもの
    • けまらしい」はマイナーな造語なので、どこそこで「けまらしい」という言葉が見られないからその感情はない、というのは外国で「暑い」と日本語を喋る人がいないからそこの人は暑がらない、というようなもの
    • 「〜〜辺りの界隈というのは”リア充パワーでミクシキンモー化”してることが大半」というのは、俺が見聞きした範囲でもまあわからんでもないけど、それが「けまらしいという感情が発生しない」とイコールになる理屈がちょっとよくわからない。むしろ「(略)キンモー化」している度合いが高くなれば「あいつら楽しそうで嫌だ=けまらしい」という感情は比例して多く見られるような…

    けまらしい」感情が無いとは述べておらず*1、だからこそ「けまらしいという言葉が出てこない」と書いた。
    (そのような主張が出てくることが非常に低く瞬間的、あるいは誤差程度、のようなニュアンス。)


    けまらしい発言があったとしたらすぐにそのけまらしい同士でクラスタを作りなおすので、主張が定着しない部分がある。一時的な主張はあってもすぐに解決して問題にならないというか。
    (2chだとけまらしい主張が成り立ってるコミュニティはある程度ある。)




    あと

    ここでいう”言語による疎外”は他人を疎外すると同時に、自分自身をも疎外している(ふるいにかけられた)わけで、そのふるいにかけられた上での言語による純粋かつ有益な交流が、都市圏のオフによるリア充パワーで全部ブッ壊れる可能性があり、それへの恐れが「けまらしい」という発言にこもってる。(少ないものがさらに少なくなるものへの恐れ)

    ここに関しては俺の理解でも結構納得できる、けど、それって色んなところで起こってることだと思うんだけどどうか。「純粋かつ有益な交流」が色んなものに置き換わるだけで(例としては、ネトゲで"ストイックなゲームプレイよる交流"を望んでいる層とか)。

    ネトゲは基本的にチームプレイが前提になってるので、ネトゲ上のコミュ能力が無くて疎外された人間はゲームが成り立たないことが多い。基本構造としてはリアルと同じ。*2 *3 *4
    ソロプレイが成り立つとしても、それは「表現」されず可視化されない。(ブログは表現の場なので可視化され、固着する。)

    *1:けまらしいがアレなら「嫉妬」に置き換えることも可能ではあるし。

    *2:ただし、ネトゲそのものの歴史が浅いので、「コミュ能力がなくてゲームが成り立たない」ということは少ないが。

    *3:なので、ストイックなゲームプレイをするためには「ネット上のコミュ能力」も磨かなくてはいけないケースが多い。

    *4:オフラインゲームでも”本当に”ストイックにやろうとすれば、もっとうまい人と交流するなどの選択肢が出てくるので、自分の周りからの疎外をそのまま放置しておく理由にはならない。