モオツァルト・無常ということ

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

旅行中に読み終えたので簡単な感想だけ。
端的に言って非常に勉強になった……というか、とんでもないバランス感覚の上に成り立った文章だなと思ったのがまず1つ。


批評や感想文書く人間にとって、論理(気付いたこと)と文体のバランスとか見せ方の問題というのは非常に重要で、論理を取れば文体の調和が取り辛くなるし、文体を取ればどうしても流れに支配されてしまう分入れておきたい論理とかが抜けてしまう。だいたいどっちかしか取れないものなんですよ。でも小林先生の批評は両方が揃ってて、すごく流れのいい文章だなと思ったらそれが全部論理で出来てて最初見たとき笑うしかなかった。こんな神業みたいな批評書ける人がかつて居たのかと、そんで今更になって知るということに自分のモノの知らなさっぷりに恥ずかしくなりましたね。


で、もう1つなのだけど、俺がよく「感覚のトレース」と呼んでるモノがあって、例えばサッカーボールでリフティングやってる時の感覚をAとし、野球のボールを投げる時の感覚をBとすると、人がリフティングやってる時はBの感覚ではなく、Aの感覚を呼び起こしてどういうものかを直感的に理解出来たりする。これは運動だけでなくて文章の読み書きにも応用が出来るんだけど、小林先生は絵の鑑賞とか骨董の観賞にもフル活用してるんですよね。その辺りのセンサーも半端無いんですよ、この人。俺もニコマス観賞に感覚のトレースをよく使ってるんだけど、こういう形で使うのは間違ってなかったんだな、どんどん使い込んでいっちゃっていいんだなと後押しされた部分もありましたね。


まあ読んで全部理解出来たかというと、さっぱりな部分が大半で批評対象に対する予備知識が無さ杉なのと、論の部分で俺がまだよく解って無い部分も多々。今後も何度か読み返して自分の批評の糧にしたい次第。