体育会系メソッドをふと考えた

前にこういうtweetしたことがある。
Loading...

「結婚は絶対するな!!」みたいな声は大きく聞こえるけど、「結婚してよかった」と思っている人は大きく声をあげる事はほとんどない。
こういう否定面だけが大きく取り上げられて、肯定面があまり聞こえてこないって構図は結構色んなところでありそうだなと思った。特にWeb上では。




正直なとこ、体育会系式のストイックな練習法を擁護する声があまり聞こえないのも、これと同じ構図を含むからが一因にあって、ああいうストイックな練習法も

  1. 精神にだけ負荷を与えるのではなく、身体にも負荷を与える
  2. 本人が本当に辛くてどうしようもない時に中止できる自由がある
  3. 教育する側の誤解や腐敗がない

辺りが守られていれば特に問題ないと個人的に考えてたり。で、理由を述べていくと、
1は負荷と同時にストレス解消の要素をつけるため。大声出させたり、やたら走らせたりするのはそれが理由。
2は自主的にその負荷を受け入れてるかどうかという問題。止めれなかったらタダの拷問以外の何者でもない。自主的にやってれば後で達成感。
3は学校なんかじゃ何か誤解してる体育教師とか、体育会系の腐った先輩とかわんさかいるのでトラウマになるケースというのはたくさんあるだろうなと。アメとムチを適度に与えられる人が最適で、教育されてる側の限界を見分けられる人がいることが前提。敷居が高い。




ちなみに体育会系メソッドのメリットは、個人的な経験談からいうと

  • 一緒に教育受けてた人間との連帯感が非常に強まる
  • 大きな負荷のかかった後なので、数カ月くらいは高いモチベーションが維持できる
  • 辛い時期のの心の支えになる(こともある)

辺り。


万能かと言うと万能でもない。今から振り返ると営業や販売ならやっていいと思うが、技術職や事務なんかはやらんでもいいような感。
「度胸がつく」「大声を出せるようになる」と言う方もいるが、個人的には4年経ったら消滅した。人間の本質はそうは変わらない。