文章のリハビリ

文章がどうも書けない。俗に言うスランプというやつだろう。


ちょっと前から周りがゴタゴタしてるので頭の中がそればかりになってしまい、他のことが考えられない状態になっているからだろうな。
いや、正確には”書く時期”と”書けない時期”のちょうど書けない時期に入っていたときにゴタゴタがあったから余計書けなくなったというべきか。


本来ならもう少し他人に気を使った文章を書きたいところなのだけど、リハビリの段階なのでとにかく何か書くということをしてみたい。
……と思ったのだけど、自分の心がそんだけ揺さぶられてるってことは体動かした方が良いんじゃないかな、とも思った。おそらくこういう時の方が何も考えずに没頭できるはずだ。


文章書くにしてもそこそこの文章が書ければ、ブログでの文章である限り、そのレスポンスから連携させて新たなエントリを生み出せば特に困ることは無いはずだ。が、生来の怠け者遺伝子が働くせいか、途中でどうしても切ってしまう。無意識下で何か働いている可能性もあるが、そればっかやってると飽きるという部分や、似たようなエントリばかりで読者に対して申し訳なく感じる部分もあるのかもしれない。

去年の今頃

去年の5/29以前のPV(アクセス数)は合計3万ぐらいで、一年間で40万PV稼いだ……というのもイヤな言い方だけども、よくここまで稼いだもんだなとは思う。金になるわけでもないのにね。


ちょうど去年あたりの文章は、本当に叩きつけるように書いてるイメージがある。
腹の中の憎しみとはまた違うのだけど、鬱屈したものを必死で加工してエントリにしている。例えれば、煮えたぎった鉄を口から吐き出して、それを鍛冶屋さながらガンガン叩いて延ばして刃物にするようなイメージ。でも”鉄”ってイメージだと上品過ぎるかもしれない。当時はここに吐き出すしか無かったしね。


それに比べれば今のエントリは随分スマートになったもんだなと思う。
自画自賛になってしまうが、見せ方にしろ文章構成にしろ合理的にはなった。


だからと言って、昔の自分と今の自分を比較して自己を鞭で叩くようなことはやらない。
今には今しか書けないことがあるからだ。


昔を肯定するから今が肯定でき、今を肯定するから昔が肯定できる。今と昔の相互理解は文章を書くことにも役立つと信じている。




ここまでリハビリをやったので、今度は外へ出てリハビリをやることにしよう。良い天気だしな。