親が強い理由
マルコさんとこからトラバが来てた。
はてなグループ
自分自身がヒヨッコなせいで、養育費だとか生活費具体的にいろいろ想像できないから即答できるんだろうなとは思うんですが、それでも子供欲しいとか思っちゃいますね。
(結婚出来るかどうかわからないのが痛いとこです)
もし、できちゃった婚とかで子供出来たとしたら、全て投げ打ってでも子供養おうとする自分が想像できるし、そうやって投げ打つことで自分自身が相当成長できるだろうな、っていう確信に近い推測があってそれも強い理由付けになってますね。極端な話、養子もらってでも育てたい、みたいな考えがあるのだけど、まあ実際育てるとなったら予想以上に大変というか重労働だろうし、そこのところが全然解ってないから言えちゃうんですよね、こういうことを。
話は変わりますが、高校時代に友人グループと話してたときに、誰かが親父とケンカしたみたいな話になって、「親父ってなんであんなに強いんだろうな」ってことばが出てきたんですね。そいつの親父だけでなくて、うちの親父や他の家の親父も強い。なんで親父みんな強いんだ、と当時不思議に思ったんですよ。今でもそれが強い印象に残ってて、少し前に自分なりの納得した答えが出せた。
ひとつは、親は1人で生きていないってこと。
生み捨てとかならともかく、ちゃんと”親”になった人ってのは子供と一緒に生きてるんですよね。なんつーか二人分生きてるっていうか。
通常なら身の危険が迫ったときは自分の身さえ守ればいいもんなんですが、ちゃんと親やってる人ってのは子供の身の方が大事なくらいで「自分の身」が二人分、正確には「子供の数+1」だけある。と、なるとそれだけ「自分達の身」を守るだけの能力を備える必要があるわけで、自分1人で生きてるケースと比べれば全然違ってくるよな、って話だと思うわけです。
つうか、さっきの高校時代の友人の話を今考えれば、子供は「自分1人」で生きてんのに、父親は「父親+子供本人」の分まで生きてるから勝てるわけない。自分自身と戦ってやっとイーブンぐらいなのに、さらに父親本人とも戦わなくちゃならないんだもの。無理だって。
そして、二つ目は親は子供が生まれた時点でずっと”親”を実践しなくてはならないってこと。
ぶっちゃけ何やっても三日坊主だったような人間でも、親になったらずーーーっと親を”やっていかなければならない”。
雨の日も風の日も、眠っていても起きていても、病気になろうが怪我しようが、金が無くなろうが酒に溺れようが、飯食っててもトイレ行ってても、ずっと親をやんなくてはいけない。途中で降りるという選択肢が無いんですよね。すごいことですよ、これ。
だって、バットの素振りを毎日休まず10年やれば相当バッティングがうまくなりそうだけども、”親”っていうのは日単位どころか秒単位で”親”っていう練習をやってるんですよね。しかも練習が即実践になってて、失敗なんてものが無いというシビアな状況。親という人種は、バキ辺りで言われる「日常が訓練」を体現してる人たちなんですよね。どんだけ自分が鍛えられるのかと。
そういう理由から、自分は親という人種にとても憧れるんですよね。中2病チックで幼稚な願望かもしれないけども、自分の気持ちはそういうものとしか言いようが無いし、誤魔化していてもしょうがない。だから、自分が両親は普通に凄いな、と思ってしまう。上に書いたようなことを考えると、アタマが自動的にかっこいいという判断を下してしまう。子供を持つことってすごいな、と思うと同時に両親ってすごいな、と思うわけです。そういう感謝って大事。
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今の私は父親になれたことに感謝している。