3年前から一人暮らし始めて以来、ちょくちょく自炊してるんですけど改めて料理ってすげえなとか思うんですよ。
まず、ベタに自分のために作ったとしてもちゃんと意味がある。
誰だか「料理のいちばん良いのは食えるところだ」と述べてたそうですが、まさにその通りで自己満足のために作ったとしてもちゃんと栄養になる上、「うまい」っていうのが凄い。スキルにもなる。他のことで自己満足のためにやったとしても、「オナニー乙」とか呆れた顔で対応されたりするもんですが、料理ばっかは自己満足のために作っても「偉いなあ」みたいな感じで見られる。これってよく考えてみたら凄いことですよ、つうか料理って行為は特異過ぎるだろとか思う。
それに結果が簡単に逆転したりするのが凄い。まずいけど、うまかったりする。*1
これとか自分で自炊し始めてわかったのだけど、市販品とか店の料理とかプロが作ってるからそれなりにおいしいんですよ。
でも、自分でネギやらじゃがいもやら用意して、いつも使ってる調理器具使って、煮たり焼いたりして時間かけて作った料理っていうのは、市販品よりも味は落ちるんだけど美味しいんですよ。ヤバい位においしい。そういう過程を何も知らない人が市販品と食べ比べたら市販品の方がおいしいって言うに決まってるんだけど、それでも無条件に美味しいって口に思わず出してしまうくらい。
そして、日頃料理を自分で作っていると、人に食べさせてもらったときにその作った過程をトレース出来たりするから、自分で作ったときの美味しさというのが再現される上、「そんな大変な過程を経て自分のために作ってくれた」っていうありがたみがある。大袈裟に言うと、山頂の上で紫色の夜明けと共に昇ってきた太陽を拝んでしまうようなありがたみがあるんですよ。さらに、その人が体調の悪いときには元気の無い料理になるし、その人が嬉しいときはもうなんか味が光り輝いてて一瞬自分が味皇になりかけたりする。そういう風な感情を受け渡す太いパイプラインみたいなものも料理は担うことが出来るんですよ。ぶっちゃけ多機能過ぎ。
で、再び自分で作った料理の話に戻すんですけど、ここしばらく自分が作った料理も人が作った料理も食ってなくて、昨日なんかインスタントの大盛カップやきそばとトマト食って終わりだったんだけど、今日の夕飯は久々にちゃんと作ろうと思って、途中によく寄るパン屋とかも寄らずに家帰ったんですね。
でも、今日はちょっとやることが多くて再び家を出て、夕飯作りに自宅戻ったのが8時半。そこから予め吸水させておいた千葉県産こしひかりを炊き、麻婆豆腐とピーマンの直火焼きを作り始めた。
50円で安売りしてた万能ネギを細かく刻み、半分はビニール袋に包んで冷蔵庫へ、もう半分は取り皿に取り、解凍したひき肉150グラムと合わせて炒める。(肉は先に入れる) 炒める前に生姜の皮を包丁でむき、にんにくの皮を剥ぎ、すり金ですりおろし(痛んでるところがあった部分は捨てる)、 これも炒める前にやっておくんだけど、みそ:しょうゆ=1:1で混ぜ、小さじ1,2杯の豆板醤を入れてよく混ぜ、砂糖を隠し味にひとつまみ入れる。さらにこれを水で2倍に延ばす。ここで炒めているところに戻って、ひき肉がよい感じの色になったところで、にんにくと生姜のすりおろしを入れてよく混ぜる。ちゃんと混ざったらさっきのみそとしょうゆを水で延ばしたものを投入し、沸騰するまで数十秒待ち、待っている間に大急ぎで小さじ二杯のコンソメを200ccのお湯で溶かし、その間に沸騰してるから投入して混ぜる。そんでまた沸騰したら、木綿豆腐を直方体上に切ったものを投入し、煮ている間にごま油を探し、ゆっくりフタを開けてほんの少しだけ入れる。ここで味見して調度良いなと思ったら、片栗粉をさっきコンソメ投入に使った容器を使って水で溶き、入れる。まんべんなく混ざってとろみが出たら、火を止め、出来上がり。
ピーマンの直火焼きはコンロ使って網とか使わずに本当に直火で焼いてマジで黒こげにする。それを冷水に投入してずるりと皮を剥いてこげを取り、包丁で細切りにする。んで、しょうゆかけたら出来上がり。
で、出来たのが九時半だったんだけど、久々にちゃんと自分のために作られたメシ&食う時間が遅かった、っていうせいか、何か食ったときすごかった。
もうね、「う……、うまい。うまい……!!」とか確認するように食ってて、いつの間にか凄い量の汗をかいてた。雨が降ってて涼しいくらいの温度になっていたから決して暑いわけではないのにキモいくらい汗かいてんの俺。鏡見たら本当に玉のような汗をかいていて、想像以上の量で二度びっくりした。*2山盛りに盛られたご飯と一緒に、12,3分で全部食べてしまった。勝手に身体が動いた感じ。合気道でもないのに。
これが本当の「食事」か、とか思った。